霧月の執筆道場

文章の練習用のブログです。内容はノンフィクション寄りの雑記(Essay)。

育った環境が違う者同士が一緒に暮らすという面白さと理不尽さ

私は、彼と同居中だが、最低4年は一緒に暮らしている。

私が徐々に彼の家に行く機会が増え、いつからか自分の家にほぼ帰らなくなっていたので、この生活が始まった時期というのがいまいち判然としない。

 

彼は関西地方出身、私は中部地方出身である。

私に関しては、厳密に言えば両親が東北から移住しているため、東北の文化が多分に含まれた家庭出身でもあった。

家庭環境の違いというものは星の数ほどあり、たとえ隣の家でも全く同じ常識を基準として生活している訳ではないだろう。自分の常識は他人の非常識である。それを知るほどに他の立場の人を慮り謙虚になれるものでもあるのかもしれない。

 

それにしても、衣食住の常識の違いはやはり知れば知るほど面白く興味深い。この辺りを面白がれるかというのも、他の人と生活する醍醐味なのかもしれない。

 

 

 

例を挙げようとすると数えきれない位にはあるが、ここでは少しだけ挙げてみようかと思う。

 

私の家に限らず、東日本出身と西日本出身が共同生活するとほぼ必ず発生すると思われるのが「中濃ソースVSウスターソース」問題である。

 

東日本出身の方にとってはソースと言えば中濃ソースのことを指し(中濃ソースとすら言わない)、ウスターソースが例え家にあっても何に使うのか分からなかったのだが、西日本出身の方にとってはこれが真逆らしい。

 

要は、私は中濃ソース派であり、彼はウスターソース派なので毎回意見が分かれている。

ソースに関する熱意は彼の方が圧倒的に強そうに見えた為、ウスターソースで譲っている。ウスターソースしかない時は特に不満なくウスターソースを使う。ウスターソースも美味しいと思う。

しかし、私はやはり中濃ソースがある時は中濃ソースを使用している。濃いので、ウスターソースよりも「ソースを使った」気になる。

現在も遠出した先で買った、テレビで紹介されたという噂の中濃ソースが家にある為そちらを使っている。

 

 

食文化の大半は知らない美味しいものを教え合えて面白い。しかし、違いは食生活だけには留まらず、意図がよくわからない拘りも稀にあったりする。

 

例えば、台所で手を拭く用のタオルを置く位置に、白いタオル以外のタオルをかけて怒られたことがある。

この白いタオルとは粗品で使われたり温泉で売られている薄いフェイスタオルのことを指すのだが、これだけはただ怒られて理由も不明である。

 

この類の理不尽は本当にこれだけなので、改めて理由も聞いていないが、想像するに、その位置に良いタオルを使うなという意味だったのかもしれない。

あるいは、白いタオルでないと拭きづらいまたは使いづらいという意味だったのかもしれない。確かに、白いタオルの方が少しだけ使い勝手が良い。

しかし、私にとってはどのタオルもタオルであることには変わりなく、しかも薄いゆえに白いタオルから消耗して雑巾になっていく。そのため白いタオルに限って常に品薄気味なので、その縛りは微妙に不便である。

ただ、その辺りの拘りはかなり強そうであり、私はそこまで拘りがないのでここも特に強く議論したりはしない。

 

 

 

育った環境が違う人と暮らすというのは、メリットもあれば理不尽なこともあるので、個人的にはよほど相手が好きでない限りは辞めた方がいいと思う。

多少の理不尽なら受け入れられるほど相手が好きか、自分の生活に拘りが少ないかの要素はあったほうがいいだろう。

 

私は彼と暮らさなくなる日が来れば二度と誰かと暮らすことはないと思っているが、誰かといながらここまで大きな不満なく暮らせることもまた奇跡だと思っている。

 

仮に現在まで出会いがなくても、私の場合は恋愛に興味がないのが基本的姿勢なので、敢えて婚活やマッチングアプリで探すこともしなかったと思う。

それに、実家の家庭環境が悪かったため、誰かと暮らすとそうなる可能性があるという怖さがやはりある。それ乗り越えてまで誰かと暮らすことを自分から求めることは間違いなくなかっただろう。

 

そう思うと、やはり、人生というものは不確定要素が大きく不思議な面があるものだ。