霧月の執筆道場

文章の練習用のブログです。内容はノンフィクション寄りの雑記(Essay)。

「生理休暇」という制度への疑問

生理休暇は名ばかりで、ただの無給休暇である。

そうではない職場もあるかもしれないが、個人的にはそんな現場しか見たことがない。

休むほどならば、普通に体調不良で休んだほうが良い。

 

仮に生理休暇の待遇が充実したとしても、生理に対する女性間の理解の差は激しい。

最早、どれくらい周囲の理解に恵まれるかというのもまた運である。

 

男性から女性への理解のなさはまだ分かる。

女性にとっても男性のことは難しいので、その逆が起きているだけだろうと思う。

「相手にとっては分からない」ということが流石に分かるため、お互いに”わからないなりに解ろう”という意識が芽生えやすくはあるのだろう。

 

しかし、女性間になるとこの相互理解が発生しないことがある。

自分以外のことは、感覚や体調、体質など全てが本人にしかわからない。それが真実ではある。

しかし生理に関しては、女性にとっては日常であり、個人差が非常に大きい事象である。

あくまで例であり、こういう人もいるというだけの話で全てではないのだが、例えば生理が軽い人は重い人の辛さを想像しづらい。低用量ピルで良くなったという人は、低用量ピルでも良くならない人や、リスク管理上の問題で医者と相談して飲まないことにした人のことを理解できないかもしれない。

こういったことは、生理が重いことに対して、やれることをやっている以上は本人の責任はないのである。理解が浅い場合、本人の責任であるかのように責める人もいる。

 

女性間だからこそ、自分と同じだと思いこんでしまうことの弊害でもある。

逆に同じような重さの人同士なら深く共感しあえることも事実ではあるのだが、同じ境遇で同じような重さの人というのは周辺に常にいるとは限らない。

 

結局は、自分の思い込みだけで押し付けたりせず、できる限りのコミュニケーションを取ることが理想なのだと思う。

これは生理だけではないが、あくまで共感はしても押し付けないということが大事である。

 

それにしても、無休でしかもダイレクトに取れば「生理中だということが公になる」という生理休暇は、現行の制度では作る意味があるのかも疑問である。

人によると思うが、生理だと無闇に知られたくない女性はやはり多いだろうと思うからだ。