霧月の執筆道場

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人生の選択肢が増えた現代で、選ぶ自由と選ばない自由

昔、ワーキングホリデーに行きたいと思っていた時期があった。

ワーキングホリデーという、一言で言えば他国に仕事しながら勉強や観光に行ける制度である。

最近、朝起きて唐突にそのことを思い出した。

 

私は今アラサー20代であり、年齢的には間に合うし資金もなんとかなりそうではあるが、

今はもう31歳を超えた恋人がいるので現実的ではなさそうだ。

私だけ行くのもおそらく無理だろうと思う。

去年、2週間の予定で私だけ長期で出かけたのだが、2週間すら無理で1週間で切り上げてきたくらいだ。1年の遠距離は不可能といっていいだろう。

 

20歳前後の頃はワーホリに行きたいと漠然と思っていた。しかし、この時点では実家を出たくても出られないなどの問題を抱えていたり、収入が低く資金を貯められる見込みがなかったりなど色々と不安定だった。

だからこそ、外の広い世界に出たかったし、自分がその時に想像できる範囲内だけで終わらせるのは嫌だと思っていた。でも、そのための道筋もわからなかった。これらは、"この年齢ならでは"だと今になってわかる。今でも計算して動けるわけではない。目の前に必死になって生きていただけだと思う。

その時の自分から見て良いか悪いかはわからないが、今はもう、敢えて色々と手放してまであまり行ける感じがしない。

いろいろと物理的な物に関わらず持ち物が増えてしまった。特に、ここまで来るのにできた人間関係が手放せる気がしない。

 

ただ、もし何も持ってなかったら、あの時よりも外国に飛び込める勇気は今の方があるような気もする。

一般的に「持っている」ほうが何でも羨望の股になりやすい。でも、何も持ってない、というのは、何でもできる軽さと同じことなのだと思う。それは、ひとつの自由である。

自由はお金を含めて何かに換算することは難しく、現代だからこそ享受しやすくなった幸せのひとつかもしれない。

何か願いがあれば叶えるのが是だとされがちだが、正解はそれ"だけ"ではない。行動をしろと急かされがちな世の中だが、いろいろと行動していくと、言うほど行動することが正しいわけではないのだと思う。行動しても成せないことや待つことが正解なことは沢山ある。

何かをするのも、しないのも、それを決められることが幸せでもある。

 

今後も、いろんな選択をしていくのだろうと思うと、少し怖いような複雑な気持ちになる。