霧月の執筆道場

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「メモ」といわれて思い出す記憶と、今感じている効能

今週のお題「メモ」

 

私は元々メモを取るのは嫌いではなかったのだが、メモを取っている姿を見られるのが好きではなかった。もっと言えば、メモそのものを見られることに抵抗があった。

学生や新卒の頃、メモを取れと言われてもその場で取るのにかなり抵抗があった。そのため、その場で必死に覚えて後からゆっくり書くこともあった。細かく書きたくなるのでしっかり書こうと思うと時間がかかってしまうのもあるし、書いているものを見られるのが嫌だった。筆跡や言い回しという私の情報が含まれているので、相手がなんとも思わなかったとしても私としては見られるのが恥ずかしかった。これは、人前でできるだけ化粧をしたくない感覚に似ている。

これが二十歳前後まで続いた。

ちなみに、今はここまでの警戒心はさすがに薄れ、抵抗も少なくなっていると思う。

仕事のメモでも、スマホに打ち込めるような職場環境の時は特に気にすることはなかったので、やはりメモを見られるのが嫌だったのだと思う。当時からデジタルのメモが普及していれば私もあそこまで苦労しなかったのでは…とも思う。

 

というわけで、メモと言われたら「手書きでメモをとるのを強制された思い出」が一番に蘇るので、少し微妙な気持ちになるが、一人で何かを書いているのは普通に好きである。

メモにもいろいろある。自分の中で情報を整理するためのメモや、情報をアウトプットするための書き出し、あとは買い物用などの備忘録のためのメモである。日記も広義で言えばメモかもしれない。

書くと、書いたことに関しては覚えておく必要がなくなり、頭の中のメモリが開放されるので、書けば書くほどスッキリする。また、同じことに関して延々と検索するようなこともなくなる。メモの効能は凄いと思う。

ただ、私の場合は書くことに満足して見返さないことのほうが多い。見返すためにつくったメモは別だが、そうでなければほぼ見返さない。書いた時点で、目を通して二度インプットしているためか、見返さなくても覚えていることは多い。

そういう意味でも、やはりメモは凄いのかもしれない。