霧月の執筆道場

文章の練習用のブログです。内容はノンフィクション寄りの雑記(Essay)。

「一生結婚しない」と言い切る自由のある世界

今日偶然『「一生結婚するつもりはない」の割合が過去最高』というニュースを見かけた。

半年前のニュースなので決して新しくはないが、そういう傾向が強くなるのは仕方がないと思う。

 

この質問は「いずれ結婚するつもり」「一生結婚するつもりはない」の2択でしかないので、後者を選ぶ人は結構強い覚悟を決めている可能性が高いと思う。その割合が増えたということである。絶対に結婚しないと言い切れない人は前者を選ぶしかないからである。

 

ただ、想像だが、この質問で後者で答える人は「婚活市場には参加しません」くらいの感じではないだろうか。あくまで結婚するために出会いを自分から求めたり、そこに時間やお金を使ったりはしない、という姿勢。

出会いを敢えて求めない中でも、自分が好きに動いている中で偶然考えを変えるような人に出会ってしまう可能性だってある。良くも悪くも、人との縁は自分でコントロール不可能な面がある。

異性があまりにも嫌いで、敢えて異性を避けながら生きる人もいるかもしれないが。

 

私は今相手がいるのでなんとも言えないが、元々基本的に恋愛に興味がないので、今誰もいなかったら「一生結婚するつもりはない」を選択するだろうと思う。

今もし別れたらもう二度と誰かと暮らすような生活はしないかもしれない。

少なくとも、自分から探すことはないだろう。

 

前提としては、そもそも結婚が幸せだというロールモデルはとっくに崩れている。

世の中には結婚して幸せになった人と不幸になった人の両方がいるわけだから、結婚したところで絶対に幸せになれるわけではない。

中には、自らの人生の中では結婚して幸せになった人を知らないという人もいると思う。

幸せは必ずしも結婚によってしかもたらされないものではない。

 

とにかく思ったことは、これ自体は事実でしかなく解決するべき問題ではないのではないか、ということだ。時代の流れの一つを可視化したに過ぎない。

自分が本心で思っていることを遠慮せず言えるようになった時代とも言える。

問題という文脈で語られがちなので、その辺りを違和感に思った。

 

ただ、この話の行く先はある意味少子化であり、これは社会問題と言われているが、今更な問題だとも思う。

社会に余裕が出て、個人に余裕が出てきたら考え方も変わるのかもしれないが、近々ではそんな材料がないので、少なくとも日本では難しいのかもしれない。

いずれにしても、幸せは結婚に限ったことではない。そのため、個人的にはそれに拘りすぎないほうがよいのではないかと思う。

個人にとっては、できる範囲のことで幸せの数を増やしていくのが現実味があって良いのではないだろうか。