霧月の執筆道場

文章の練習用のブログです。内容はノンフィクション寄りの雑記(Essay)。

「子供は贅沢品」と言われる昨今に思うこと

今日、子供は贅沢品という言葉を見たが、それは今始まったことではないと私は思っている。

 

結婚までは縁であり、流れが存在し、選択と言い切れないこともある。しかしその先は、今の時代は”選択”である。

あくまでも「誰にとっても絶対に人生に必須な事項」ではない。

 

また、子供もマイホームもそうではないかと思うが、身の丈に合わない生活をするから苦しむし、親が苦しんでいるとそれはどうやっても子供に伝わる。子供はその様子を見ている。その連鎖の結果はもう各所で散々言われているので、これから新規で繰り返す人も減っていっているのだろうと思う。

 

「身の丈」というと自分を下げるような気持ちになるかもしれない。

私が子供の頃やもっと若い頃はそう思っていた。どうせ自分なんて、という自信がない気持ちや、自分にたいして価値がないということを肯定してしまうような気がして抵抗があった。

 

しかし、これは自分を下げることが目的ではないのだと思う。

人生というものは何をやっても時間や資金などの資源に限りは生じてくる。

だからこそ、自分が何を最優先するのかというのをそれぞれの中ではっきりさせておくのが望ましいのだろう。はっきりとした優先順位があれば、その上位には資金、時間、情熱など可能な限りの資源を注ぐことができる。身の丈とは、そのための取捨選択の結果をそのように表現したに過ぎない。

自分以外の軸で、本心とは遠いところで時間を使うほど、生きていられる時間は豊富に用意されてはいない。

世の中では、一昔前よりも、この優先させたいことの種類のバリエーションが増えている。人によって違うし、現代では文字通り星の数ほどあるのかもしれない。

 

あくまで想像ではあるが、その中で「子供」が自分の中の優先順位一位か二位くらいまでに来る人が、今後は子育てをしていく流れになっていくのかもしれないと思う。

ただ、今はまだ「子供」そのものでなくても、子供を必要とする何かが上位に来る場合も、子育てをすることにはなるのだろう。

いずれにしても覚悟が要ることには変わらない。

夫婦2人以外の強力なバックアップがあったり、外部のリソースが豊富に使える場合は別だと思うが、そうでない場合はやはり自分たちで責任を取る前提でいる必要がある。

子育ては片手間で考えてもうまく行くとは限らないし、期間も非常に長い。だからこそそれなりの覚悟が必要なのだと思う。

 

また、少子化だからといって頭数合わせのために誕生させられても、子供としては複雑だろうと思う。

だからこそ、覚悟がある人のみする流れになっている昨今は、割と子供にとっては良いことなのかもしれない。

逆に言えば、近年の流れでかなり用意や覚悟をした家庭に生まれる子が増えていたとしたら、総数は少なくとも、今後は今までよりも幸せな子供の割合が増えていく可能性もある。

マクロ視点よりも個人個人の幸せを最優先で考えた場合、それは悪いことではなさそうに見える。

理想ではあるが、これからの時代は、できる限りそうであってほしいと思う。

 

 

ちなみに、一番か二番と書いたが、個人的には三つ以上抱えられる人は私から見たらかなりキャパシティが大きいのだと思う。

ここで言う「一つ」とは、大きな括りで「仕事」「パートナーとの時間」など、自分の中で時間や精神的に大きく占めているものを指す。仕事も、例えば継続的な仕事を2つしたら「二つ」になると思う。

 

私の場合、三つ以上になった時期は、どれかがおろそかになるか睡眠時間を削らなければ厳しく、無理した場合健康の方に害が及んでしまったりもしたので…。

 

たとえどれだけお金で時間を買っても、時間は無限にはならない。注げるエネルギーや情熱も限りがある。

だからこそ、流される必要なく、自分が大事にしたいものを大事にしていけるような流れになっていけば良いのではと思う。