霧月の執筆道場

文章の練習用のブログです。内容はノンフィクション寄りの雑記(Essay)。

親の「金がない」は真実とは限らない

「金がない」という親は決して少なくないだろう。

 

小さいうちはその言葉を無条件に信じる場合も多い。

実際のところ、本当にないのか、計画性がないだけなのか、それとも将来のために貯めてくれているのかなどは、成人する頃には分かる話である。

 

 

長くなるが実体験に基づいた話を書いてみたいと思う。

 

私が子供の頃に住んでいた家は、一軒家だった。

 

冬は寒く夏は暑い。自室はあったが暖房はなく、冬は布団の中か、かなり重い厚着をして過ごしていた。冷房も扇風機のみで、ないよりはマシというくらいの効果だった。

 

周囲には自動販売機こそあったが、それ以外には何もなく、最寄りの商業施設であるコンビニまでは徒歩30分ほどかかっていた。

微妙な距離だが、問題はその半分ほどが長くて急な坂であり、息を切らしながら上り下りしていた。

近所に同年代の子はあまりおらず、放課後や休みの日に出歩くのも不便なためあまり外には出なかったと思う。

 

家の立地はさておき、

この家を、私が結構小さい頃から、父は「俺の家」だと言い切っていた。

父以外の家族のものではない、あくまで父個人のものであるという意味だ。

 

そういう意味ではあの家は「実家」ですらなく、父以外の家族は皆居候ということになる。

書類上はそれで正しく、特に間違ってはいないのだろう。

ただ、父の基準では、賃貸に住む人は皆、自分の借りた部屋を「我が家」とは言ってはいけないとも取れるが。

 

そう突き放すなら、私も住みたくて住みはじめたわけではない。

私は気付いたらそこに存在していたに過ぎず、だからといって消えることも許されないからそこに居るしかないだけで、それ以外の理由はどこにもない。

 

明らかに自分の事が不要なのだろうという雰囲気を感じた日には、やはり出て行きたいとは考える。しかし、子供では年齢的に出ていくことは不可能である。

その辺りは未成年の立場では皆そうだろうと思う。

 

「山に捨てる」から「出ていけ」まで、その不可能を利用した暴言は数え切れない。

もはや筋は通っておらず、本人の機嫌で怒っていたように見えた。それがいつからかは知らないが、最初からなのかもしれない。

 

その思考回路でありながら、何故家を建てたのか、何故結婚したのか、何故所帯を持つことにしたのか、謎である。

稼げていたのだから、結婚せずに全て自分の金として使えばよかったのではないのか。

 

ある意味、父本人も辛かったのではないのか。

 

 

家は金はないと言われながら、実際何らかの申請の際は所得制限に引っ掛かり私が不便な思いをすることもあった。

 

 

当時は最初から選択肢がないように育てられたため印象は薄いのだが、奨学金関係に関して興味本位で確認したこともあった。

その結果、所得制限の方で奨学金の対象には当てはまらなかったように思う。

印象があまりないため、今改めて調べてみたが、やはり当時の状況では借りるのはかなり厳しかったように見える。少なくとも無利子では不可能だろう。

 

 

また、新卒で勤めた会社を辞めたときのこと。役所かハローワークの方が何かの手続きをしてくれようとしたことがあったが、当時はまだ親と同世帯だったため、親の所得制限に引っかかりできないことがあった。

 

これに関しては今思えば、この時点で世帯分離をすれば解決したことが多そうだが、当時の私ではそこまでの知識や発想はなかった。

それに、同じ家に住んでいながら勝手に世帯分離をしたらまた家の中で揉めるだろうかという不安もあった。

 

 

この場合、「金がない」というのは鵜呑みにして良いレベルの真実ではなさそうだ。

まぁ、親の稼いだ金が親自身のために使われようと、親の勝手であり自由ではあるとも言える。

 

ただ、それが原因で子供側に制限があるのは流石に不便だと思った。

 

高い車を維持したり、食べ物は冷蔵庫が満杯でもなお買ってきて、買っても使わないようなもので部屋を溢れさせる程度には金はあったのだから。

 

 

 

実家を出ようとした時も、金がないといって引き止められたことがあったが、仕方なく言うことを聞いてしまったのはあの時の数ヶ月間が最後である。

 

今ではもう家に長いこと帰っていない。

 

 

 

私も100%反面教師にして完璧にできているとまでは言えないし、人に助けてもらうこともたくさんある。社会に出てから、数え切れない人に助けられたと思う。

 

親のようにはなりたくないとは思っても、同じ血を引いていて、あの様子を見て育ってしまったので、油断することはできない。

でも「自分にできない範囲のことは背負わない」など、私なりに対策は講じているつもりだ。

 

 

このように「親の収入が高かろうが子供に回ってこない」というケースは世の中にはあるようだが、その場合に子供が救われるのはかなり難しい。子供も諦めているし、各種制度の情報が回ってこないこともある。

 

今は昔よりもさらにネットが発達し、多少は改善したかもしれないが、今の未成年で溢れている子がいないとは言えない。

家庭という世界は狭く閉じ込められやすいので、その対策や相談も家庭外や社会の中でできるようになって欲しいと思う。