霧月の執筆道場

文章の練習用のブログです。内容はノンフィクション寄りの雑記(Essay)。

「人の出会い」という不思議を振り返ってみる

私の話になるが、私がかつて好きだった声優がいる。

元は私が好きだったキャラクターの声優だったが、派生して他の出演作も観るようになった。

一度だけではあるが、片道3〜4時間ほどかけて、直接声を聴きに行ったこともある。

 

何度も聴き込むにつれ、その声はまるで音楽との見分けがつかなくなっていった。

不思議なことに、日本語を話していても、セリフがまるで入ってこない。

その声質そのものがまるで楽器であり、魅惑的な音を奏でているかのように私には感じられた。

これはこの方の才能なのかもしれない。

 

「かつて好きだった」というのは、今は嫌いになったという意味ではない。

追う必要がなくなっただけである。

 

追っている中で、偶然にも似た声の人と出会ってしまい、画面の向こうに求める必要がなくなってしまったからだ。

敢えて見ようとしなくなっただけで、今でも何らかの作品に出ていると気づくことが多いし、気づかなかった時はとても悔しいと思う。

 

とある作中で呼ぶ名前が偶然私と一致することもあって、嬉しいと思ったこともあるが、生の声で呼ばれるのもまた違う良さがある。

 

その後、結果的に、現実にその彼と一緒になってしまったことも、また奇跡なのかもしれない。

 

人の出会いというものは不思議で、再現性もない。

求めたところで出会えるとも限らないし、自分の努力とは全く比例しない。

強いていうのなら、自分のことや好みなどを徹底的に理解しておくことで、目の前にきた時に気づきやすくなるのかもしれない。

でも、人にできるのはそれくらいではないだろうか。

 

私はもしこういうことがなくても、自分の努力でどうにもならない「出会い」に何かを求めたりはしなかったように思う。

しかし、化学反応のように大きく流れを変えてしまうのもまた不思議なものである。

人生の鍵を握っているように見える、恐ろしく魅惑的なものが、人との出会いなのかもしれない。