霧月の執筆道場

文章の練習用のブログです。内容はノンフィクション寄りの雑記(Essay)。

神社巡りをやめた、という話

頻度はそもそも徐々に落ちていたが、敢えて神社を巡るのをやめることにした。

 

初詣や旅行で行く流れになった時などは特に拒む気はないが、今後は当面そういったお付き合いの時だけになるだろう。

 

私はとある同じ目的の為に3年ほど神社を巡っていた。

半分趣味ではあったが…。

同じ所に行くことも多かったので、御朱印は頂いたり頂かなかったり、である。

 

辞めることにした理由としては、以下のようなことが挙げられる。

 

・参拝を始めた時期と良くも悪くも何も変わっていない

・通い初めの頃の目的をもしこれから叶えられたとしても、私は自分で嬉しいと感じる自信がなくなった

 

参拝によって、状況は悪化はしなくても大きく良くもならなかった、と言える。

 

また、通う前の時期の方が、なんとなく流れが良かったような気さえしている。

もちろん、悪くなってから通い始めたので、神社が悪いわけではないと思うが…。

やれることは全てやる主義の私としては、効果があるかはともかく、これも考えられる中では「やれることをやる」行動のうちの一つではあった。

 

通っている時間そのものは楽しかった。

遠方の時は特に気分転換にもなったし、

その時間そのものの価値はあったと思う。

 

この3年間、苦しいこともとても多かったが、寺社仏閣を巡ったことは、明らかに心の支えにはなっていた。

その意味でのお礼参りは、折を見て、できる範囲でしたいとは思っている。

まだ今は余裕がないので、追々になってしまうとは思うのだが…。

 

また、関連して、この3年増えていた"運気が上がるような類のもの"も全て完全にやめることにした。

やはり元がとれるほど意味があると感じたことはなかったし、今更運気が上がっても何も嬉しくないと思う可能性が出てきたからだ。

 

今の私は特に欲もない。

生きたいという欲すら怪しいほどである。

その中で望むのは、とにかく負担の少ない生活と休息であり、要は「今はできるだけ何もしたくない」と思っている。

 

別の言い方をするなら、頑張るのに疲れたのかもしれない。

 

今回「神社に通うとどうなるか」ということがわかったため、今後は、今回のように通うことはないと思う。少なくとも当面はそうなりそうだ。

後悔はないが、今はもう必要ではないのだろう、という感覚も無視はできない。

 

いずれにしても必要なものは時間とともに変わると思うので、執着せず、その時に必要なものを求められる自分でいたいと思う。