霧月の執筆道場

文章の練習用のブログです。内容はノンフィクション寄りの雑記(Essay)。

希死念慮強めの私が、思うことと対策などをつらつらと。

ひなまつり。

昨日はひな祭りだった。

事実婚同棲中の私がひなまつりをすることはもうなく、今年は何もしていない。

 

よく考えたらちらし寿司くらい食べればよかったのかもしれないが、最近、食欲がない。
2週間ほど前に彼にうつされてコロナになった。

一応、完治はしているが、それ以降あまり食事を摂る気にならない。


それ以来…いや、それより少し前から、希死念慮に悩まされていた。

食欲はないが腹は減り、ゼリーなどで食い繋ぐ。
今夜もきっとそんな感じだろう。

 

希死念慮は遡ること4〜5歳の頃から感じていた。
20歳前後までは周囲に相談などしたものだが、今は…そんな足掻きなどせず消えればよかったと思う。

私にとってそういう相談は、解決に至ることもないので無駄だったと言える。

そもそも相談で解決するならこんなに自殺者は出ないし、納得するような答えなんて誰一人持っていない。

 

20代も後半になり、
今、一日を生きるのに非常に苦労している。


一分一秒が長い。

 

20歳以降は時間が早くなるという噂がまことしやかに語られていたが、嘘だと思う。

 

去年くらいまでは、それでも目下の目標があったので具体的に死ぬ計画は先延ばしができていた。
こちらは、4年ほどかかった案件。
それも、2ヶ月後を目処にほぼ遂げられる算段がついている。

 

あまりにも病んでいたので、
思いつくままに検索窓にキーワードを入れた。
死にたい、生まれてこなければよかった…
それはすべて本心であり、
同じような考えの人がたくさん見つかった。

 

最早、親や環境が悪い、ということではない。

育った家庭は問題のある方だったかもしれないが、もう3年は帰っていないので、今となっては「思い出さなければどうでも良い」と思うようになった。

実際に現実味も薄く、家のことはあまり思い出せない。

 

今更親のせいなどにするつもりはない。

ただ、一個だけ願いを聞いてもらえるなら、私が生まれる前まで行って「産まないで欲しい」とお願いしたい程度のこと。

単純に、お互いに負担が減る。

 

生まれてしまえば簡単に消えることもできない。

「死にたい」と「死の痛み等への恐怖」「失敗して生きながらえることへの恐怖」…

このあたりで延々と揺れながら苦しむことになる。

 

ただ存在したくない…。

それだけのことが、とてもハードルが高い。

 

その気持ちをなんとかするために端から行動はしたが、なんとかする方法なんてどこにもなかった。今改善されてないのが全てではないかと思う。

 

それに…。

生まれてこなければよかった、と考える人がこんなにいるのだから、少子化が改善されることなんかは当面なさそうに思える。

生きることが苦しいと感じることはは決してマイノリティとは言えない、と思った。

 

私なんかは相手がいても子供が欲しいとは思わなかった。

登下校の子供なんかを見たら可愛いと思うが、自分が欲しいとは全く思わない。

自分が存在したくなくてこんなに苦しんでいるのに、子供も同じように苦しんだら、それは可哀想では済まされないことだ。

 

…子供については他にもあるが、それは今回は割愛したいと思う。

 

ただ、こんな私でも死にたいと思わずに済む瞬間がまだ一つだけある。

誰かと会話、または関わっている瞬間だ。

一日のうちの大半が死にたかったとしても、誰かが一緒にいてくれる時間だけは死なないでいられるように思える。

思えば、そうやって生きながらえたのが20代の前半であり、その中で出会ったのが彼だ。今も何も変わっていない。

 

人には人が必要なのだと思う。だから、死にたくなったら人を求めるに限る…。

もちろんそれで全ては解決しないが、それで今日一日だけを乗り切るのが今のベストであり、それ以上のことは私にはできない。