霧月の執筆道場

文章の練習用のブログです。内容はノンフィクション寄りの雑記(Essay)。

待ち遠しい花見の季節と桜の記憶

今週のお題「お花見」

 

お花見は桜以外にも梅なども含まれると思うが、お題の絵文字が桜だったので桜を想定して書こうと思う。

 

私の住んでいる地域は寒いほうなので、今年はまだそんなに桜を見ていない。咲きはじめているのを見ることはあるが、少なくとも満開の桜はまだ一度も見ていない。

桜は遅めなので、桜の開花よりも、雪がなくなりつつある景色のほうが先に春の訪れを知らせてくれる。ただ、ゲレンデに行くようになってから、夏の終わりと同じかそれ以上に冬の終わりにも哀愁を感じられるようになってしまった。

桜が完全に咲いてしまった時には、もうとっくに冬は終わっているのだろう。

 

近くにないとはいえ、多分少し車を暖かい方に走らせればもう咲いていそうだ。

今日は3月も末なのだから。

来週、少し南の方に行く用事ができたので、その時には見られるかもしれない。

 

去年はこの時期に関東・関西に行き、5月頃に東北に行ったので、桜を見ている期間が異常に長かったように記憶している。おそらく2ヶ月以上は見ていただろう。私の人生の中ではおそらく最長である。

最後の方は流石に慣れきっていたが、これまではほとんど見ずに終わる年もあったことを考えると、これだけ桜を見れたという満足感も強かった。

桜の寿命は短い。強めの雨が降ったら散ってしまうし、満開になってから一週間ほどで見られなくなってしまうことも多い。少し忙しいと簡単にタイミングを逃すので、これまでは見逃した年も結構多かった。

 

桜は、ひと目見ただけでもと気持ちを上向きにしてくれる。

自然界ではあまり見ない薄い桃色をしたこの花は、やはり特別なものなのだろう。

里の雪はもう殆ど見なくなったので、今はもう近所の桜が咲くのを待つばかりである。

 

ところで、桜を見に行ったこと自体は何度もあるが、「桜の下で宴会をする」という意味の花見は記憶にある限り一度もしたことはない気がしている。

理由ははっきりとしないが、あまりそういう機会がなかったし、周りでもそんなに聞かない。車社会なので昼間からあまり酒は飲まないというのもあると思うが、こういうのは都会ならではの「花見」という感じがして少し憧れはある。それに、桜の下で飲む昼間の酒は格段に美味しそうである。